1973年12月14日生まれ。9歳の頃よりサッカーを始め、17歳の時に当時日本の女子サッカーで最高峰のリーグ、日本女子サッカーリーグにフジタサッカークラブマーキュリーの一員として参加。リーグ内での戦績は振るわなかったものの、元日本女子サッカー代表チーム監督の高倉麻子氏や日本初のバロンドール世界最高選手に選ばれた澤穂希選手らと共にフィールドで戦う日々を2年間過ごした。そこでアスレティックトレーナーという仕事に出会い、選手をフィジカル・メンタル両方から支えて、ケガから再起させるサポートを行っていることを知り、そのカッコよさに憧れて、自身も大好きなサッカーに恩返しをしたいという想いから、アスレティックトレーナーを目指し、はり師きゅう師あん摩マッサージ指圧師の国家試験に合格。夢を実現し、自立することを目標に掲げて踏み出した第一歩であった。
1997年三宅スポーツマッサージに就職。アスレティックトレーナーとして、フジタサッカークラブマーキュリーに帯同。同時に治療院で基礎からスポーツマッサージをたたきこまれる。
1999年小沼整形外科に転職。整形外科でドクターと共に様々な整形外科の患者に対応。1999年FIFA女子サッカーワールドカップアメリカ大会に帯同。世界的なアスリートを治療し治療技術を研磨。しかし、選手のみに行うケガや、痛みだけにアプローチする鍼灸治療に、自身の鍼灸治療の可能性の限界を感じていた。
2002年こうの整形外科クリニックに転職。理学療法士のいない異色のリハビリ室のリーダーとして更に研鑽を積む。もやもやとしながら5年間受けた日本体育協会公認アスレティックトレーナーの試験に不合格となり、そのままアスレティックトレーナーを続けるのか、違う道を模索するのか岐路に立たされていた。
2008年結婚。2010年に長女、2013年に長男を出産。
2015年に夫笠原秀造と共にコルテーゼ鍼灸整骨院を開業。アスレティックトレーナーへの情熱が変化していた事、出産育児期間中に失われたキャリアを取り戻したい思いから当時注目を浴びていた美容鍼灸に興味を持ち、ホームページから湧き出る鍼灸への熱い思いに打たれ、財団法人日本美容鍼灸マッサージ協会(JFACe)で行っている第36期美容鍼灸師認定講座に参加。
バラのように気高く美しく輝かせたい。
私は、女性が美しく健康でいることで
世界平和に貢献します。